永井荷風の日記(『断腸亭日乗』)には不思議な魅力があって、読み始めると小説とはまた違う味わいに惹き込まれていきます。映画監督の小津安二郎も愛読していたし、ドナルド・キーンの日記論の素材にもされています。
特に東京大空襲で焼き出されてから終戦の日の谷崎潤一郎との再会までの半年は圧巻ですが、そのほかにも大政翼賛の動きに対する反感・拒否や、当時の文人たちに関する批判、数多くの艶話、東京各地の散策記録など興味が尽きません。なかでも浅草から墨東・玉の井にかけての界隈は、戦前・戦中・戦後を通じて荷風遍歴の舞台となっています。
ある年の初夏、荷風に誘われるようにして、浅草から隅田川、谷中あたりを歩きました。
浅草の賑わいは噂以上で、しかも人出の半分は日本語以外をしゃべっていました。残念ながら、伝法院境内には入れなませんでしたが、多くの演芸場と芸人たちの呼び込みはいかにも浅草。すぐ東を隅田川が流れ、川縁のベンチで語らう人々、楽器演奏する人やイスラム教の礼拝を行うグループ、さまざまに初夏の夜は更けていきました。
ほど近い一画に、荷風が戦後よく通っていた『アリゾナ・キッチン』というレストランがあります。隅田川をわたってくる涼風が開け放たれた店内にも流れていました。新藤兼人監督はこの店で映画『墨東奇譚』を撮ったらしく、そのときの写真が、荷風のスナップ写真と並んで飾られています。店主が懐かしそうに往時を話してくださいました。
看板メニューのビーフシチューを味わいながら、荷風がよく散策した吉原の遊女の墓、荷風の先生にあたる上田敏と森鴎外の墓を訪ねるという、これからの奇妙な旅に思いを馳せるのでした。